『モノづくり原論』常盤文克、片平秀貴、古川一郎著 vol.139
こんにちは、
本日の一冊は
『モノづくり原論』常盤文克、片平秀貴、古川一郎著です。
三罪、です。
「底力」っていう言葉、
すごく好きです。
この言葉が最も似つかわしいのは
モノづくりについて想いを巡らせているとき。
私がよくモノづくりの本に目を通すのは、
忘れていた大事な気持ちを取り戻せるような
気がするからかもしれません。
そして、その忘れかけた気持ちを考えると同時に
「誇り」「ねぎらい」ということも考えさせられます。
針供養で、
なぜ折れた針などが
豆腐やこんにゃくに刺して
見送られるのか。
硬い生地に突き刺されて長い間
がんばってくれました!
ありがとう!
の意味をこめて見送られるわけです。
たかが儀式、されど儀式。
このような習慣が時代を超えて引き継がれている
日本を非常に誇らしいと思えるのは
私だけでしょうか?
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『モノづくり原論』(常盤文克、片平秀貴、古川一郎著/東洋経済新報社)<Amazonで購入>
http://amzn.to/xtincs私たちは、モノづくりという言葉は、外国語に翻訳できない
日本独特のものであり、日本の環境でしか育たないと思っている。モノづくりの原点とは何か?
本当に必要なものは何か?
本物とは何か?使い手の側も、自分の使用するカメラを昔のように
「愛機」と呼び、自動車を「愛車」と呼ぶようなモノに対する
愛着心を失ってしまった。日本には大事に使い込んだモノには、使った人の思いや魂が
宿るとする伝承もある。(略)だからこそ使用済みのモノを捨てるときは、
道具塚や包丁塚、針供養、人形塚などに収めて
その魂を封じ込め、鎮魂したのであろう。人々はモノに対して感謝の気持ちとともに畏れも抱いてきたのだ。
人はモノと重なり合って暮らしているのだ。
宗教哲学者の鎌田東二は、“もののあはれ”から“モノづくり”
までを視野に入れた「モノ学」の研究で知られている。
鎌田によれば、日本語でモノという場合、
そこには物質性=物、人間性=者、霊性=霊という
三つのフェーズ(位相)が重なり合っている。職人たちにとってモノは合掌の対象である。
リコーのカメラはファッションモデルの間で人気があるのだという。
一緒に仕事をしているプロのカメラマンから薦められるからだ。まず、「名前をつけない罪」だ。(略)
本当によく考えられた名前の裏には、その組織の戦略が見える。モノづくりにはロマンがあふれている。
観光産業もモノづくり産業である。
確かに、高くそびえた木々の枝に生い茂る葉は、
光を一人占めしているように見える。
しかし、驚くことに巨木は子孫を森の中には残せない。自然界で一番静かに飛ぶことができる野鳥はフクロウだが、
JR西日本の花形車両だった500系車両は、フクロウの羽の
構造にヒントを得たパンタグラフを作り騒音を三〇パーセント
以上削減できたという。全体像をしっかりと描いて、部分と部分の関係性を
大事にしながら、多様な知を組み立てて大きな知に育てていく。
これが知の経営にほかならない。参照:
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というわけで、
▼「共感・意外性・感動」の法則を解き明かす!
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├○
├○ 「合掌」の対象を持っている人は、しあわせ。
├○
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ひとつ、「名前をつけない」罪。
ふたつ、「名前が長い」罪。
みっつ、「名前に頭を使わない」罪。
この三罪、やっていませんか?
著者いわく、
この三罪について
力をこめて怒っている感じですね。
「自分の子どもには大きな夢を託して名づけに力を入れるのに、
自分たちの心を込めた商品に同じくらいの熱意で
名前を考える人は少ない」
例えば、
サッカー日本女子代表チーム。
愛称(なでしこジャパン)がなかったとしたら
あそこまで盛り上がれたかどうか。
な~んて、私は考えてしまうのです。