『はじめて考えるときのように』野矢茂樹著 vol.36
こんにちは、
本日の一冊は、
『はじめて考えるときのように』野矢茂樹著 です。
漢字はセクシーだと思います。
先日、知りあいに
とある質問をしたところ、
「その△△について定義せよ」
と、言われてしまいました。
最初、
(むむむ、なにをぉ~?答えてくれないのか~!?)
と思いましたが、
今考えればおっしゃる通りで、
自分なりに定義してみたら、
(あ、これだ!)
という、腑に落ちる結論に
なんとか無事着地いたしました。
私はそのやりとりの中で、
いったい何をしていたのだろうということが
ふとわかった本。
それが、
『はじめて考えるときのように』(野矢茂樹著)です。
おそらく、野矢茂樹さんといえば、
『論理トレーニング』の著者といった方が
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4782802056/withup-22/ref=nosim
ピンとくる方が多いかもしれませんね。
それにしても、
その世界にひきずりこまれる本でした。
最初はゆる~りとした感じで始まるのですが、
気がついたら、
ギアがかなり上がっている本です!
しかし、そのギアチェンジに
変な力が入っていないからか、
あまりに自然すぎてわからない。
車でいえば、非常に乗り心地がよく、
気がついたら、
海が見える場所までたどりついていた、
みたいな感じです。
第5章の<見えない枠>R2D1の悲劇に、
プログラムされたロボットと人間の違いがわかる
エピソードが描かれています。
ロボット好きの人は、体調のよいときに
読んだ方がいいと思います。
悲しい場面も少し出てきますから。
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『はじめて考えるときのように』(野矢茂樹/PHP研究所)<Amazonで購入>
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見えているものを見ているだけでは、考えることはできない。
考えるということ、それは余白の運動です。だから、コップを見るときだって、そこに見えていない
飲み物への思いをこめて、見ている。
「それをただそれ自体で」というのはありえなくって、
なんだって何かと関係づけられている。
そして、その関係の糸をたぐることは、
考えることにつながっている。ぼくたちはまず問いを問わなければならない。
前提の意味をはっきりさせること。
そうすれば、結論はそこに書いてある。考えるというのは、そうした推論や計算、あるいは
さまざまな観察を、問題解決のもとに取捨選択
してうまくつなげることだ。否定の不思議。
ないものが、ある。だから、考えるっていうことは、
そうした見えない枠と戦うことでもある。
見えない敵と戦う。それはとても難しい。
それを見えるようにしてくれる力が、
ひととの出会いにある。参照:
『はじめて考えるときのように』(野矢茂樹/PHP研究所)<Amazonで購入>
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というわけで、
●「共感・意外性・感動」の法則を解き明かす!
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問いを問う。
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おそらく、すごくこだわりがあるんだろうなと
思ったのは、
「刺激」ではなく、
「刺戟」と書かれてあったこと。
「戟」(げき)
なんていうか、
漢字っていいですよね。
とってもセクシーだと思います。