『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論』(堀江貴文著/光文社)vol.396

2017年03月28日

こんにちは、
本日の一冊は、
『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論』(堀江貴文著/光文社)です。

『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論』(堀江貴文著/光文社)

ファンタジー、です。


インターネットが
もたした真の価値とはなにか?


深く考えたことは
なかったのですが、
なるほどね!


というひとつの視点を
もらいました。


やはり本って、
さまざまな視点をもらえる
すばらしいコンテンツですね!


すべての
教育は洗脳だ!


という論が展開されるのですが、
興味深く読めました。

 

 

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『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論』(堀江貴文著/光文社)

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残念ながら、普通に暮らしている限り、
「常識」という教養の危険性に
気づく機会は少ない。

そもそも、使用する教科書を国家が
チェックするという制度自体、
先進国の中では極めて稀である。
日本以外で検定制(国定教科書)を
採択している国を見ると、韓国や中国、
ロシア、そしてトルコやキューバなどの
開発途上国が続く。欧米の先進国に、こんな制度はない。

しかし、インターネットがもたらした
本当の衝撃は、国家がなくなることなのだ。

「場所」の意味が失われたとき、
都道府県も国民国家も、すべては
「人生を楽しむためのファンタジー」
に変わるのである。

インターネットの登場がもたらした
恩恵は、「他者と通信できる」ことではない。
情報やモノ、あらゆるものの
「所有」の価値を著しく下げたことなのである。

モノやお金の価値が最小化されて
いく社会では、誰にどれだけ支持されているか、
共感されているかが重要な意味を持つ。

僕が言う「学び」とは、没頭のことだ。

没頭できるかどうかを決めるのは、
人の性格でも、あるいは没頭の
対象の種類でもない。
それに対してどれだけ主体的に関われるかだ。

もともと学校は、
「国民」と「労働者」を
育てるための機関として誕生した。

「貯金型思考」を支えるのは我慢で あり、
「投資型思考」を支えるのは先読みと決断。

あなたの価値を最大化するのは、
「どれだけ我慢したか」ではなく、
「どれだけ自ら決断したか」なのである。

では、あなたが読むべき対象は何か。
「自分」だ。自分が求めているものは何か、
やりたいことは何か。
今この瞬間、どんな生き方ができたら
幸せなのかを真剣に考え抜くのである。


参照:
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というわけで、




▼「共感・意外性・感動」の法則を解き明かす!
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本来の姿に戻ろう。

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なぜ、冒頭の言葉が
「ファンタジー」なのか?


と思った方もいるかもしれません。


よく読めば、
言わんとしていることが
わかると思います。

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