『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』西林克彦 著 vol.32
こんにちは、
本日の一冊は、
『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』西林克彦 著です。
「わかったつもり」は大罪です。
あるテーマについて考えているとき、
目の前にいる人が突然、
それについて語りだしたときは
さすがに驚きます。
(頭の中をのぞかれた?)
とまあ、これだけではなく
本当に様々なシンクロがよく続きます。
今日のシンクロは、
「わかったつもり」の怖さでした。
「なるほど~!」
と、腑に落ちるためにはまず、
「?」がなければなりません。
でも、
「疑問」だけでは不十分なのだ
ということがわかりました。
昨今、流行りのフレームワークも
たしかに便利なのですが、
浅い思考ではまったくもって話になりません。
いままで、どんな読み方をしていたか?
いままで、どんな書き方をしていたのか?
かなりドキッとします。
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『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』(西林克彦/光文社)<Amazonで購入>
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334033229/withup-22/ref=nosim浅いわかり方から抜け出すことが困難なのは、
その状態が「わからない」からではなくて、
「わかった」状態だからなのです。何の話かがわかると、私たちは、それまで
ちんぷんかんぷんだった文章が、わかるようになります。(略)あることがらに関する、私たちの中に既に
存在しているひとまとまりの知識を、
心理学、とくに認知心理学では「スキーマ」と呼びます。「わかった」状態は、よく言えば一種の「安定」状態なのですが、
逆の言い方をすれば「停滞」状態なのです。「わかる」から「よりわかる」うえで必要なのは、
「わかったつもり」を乗り越えることなのです。「わかったつもり」の状態には、
「物足りない読み」だけではなく、「間違った読み」も存在します。法則として重要なのは、導かれる過程の論理性
(実はこれは求められないのですが)ではなく、
それが導き出された状況以外のところでテストしたとき、
「整合的」であるかどうかなのです。「正しい」と「間違っている」という判定は、
シンメトリーなものではありません。
後者は明確に判定できますが、
前者は「整合性はある」とか「間違っているとは言えない」
という判定しかできないのです。参照:
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というわけで、
●「共感・意外性・感動」の法則を解き明かす!
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「つもり星」からの脱出。
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繰り返し読む本で新しい発見が起こるのは、
以前に読んだ時とは状況が異なるからだと
単純に思っていました。
でも、この本を読んで少し考え方が変わりました。
「状況が変化した」
「経験が増えた」
というだけではなく、
「疑問」や「矛盾」に対しての
アンテナ数とその精度があがるからではないか?
という仮説を持つようになりました。
いずれにせよ、「わかったつもり」でいては、
思考停止なのだと肝に銘じます!
なんだかんだ、この本も14刷。
着実に版を重ねているようですね。