『考えない練習』小池龍之介著 vol.69
こんにちは、
本日の一冊は
『考えない練習』小池龍之介著です。
話題の僧侶です。
ここ最近、ずっととあるプロジェクトで
重要なファクターとなる
「五感」について考えていました。
考えすぎて、
リラックスしようと書店に出向くと、
再びいろんなことを考え始める負のスパイラル。
気がついたら、
『考えない練習』
http://bit.ly/aAxXBU
という本を読んでいました(笑)
前から気になりつつ、
なかなか読めていなかった本です。
◎生きていくうえで本当に必要な感情
◎感覚を鋭くする方法
◎仏道における読み書き話すとは
についてすんなりと腹落ちすることが
丁寧に書かれてあります。
すでに6刷で話題になっているので
ご存知の方も多いと思いますが
気のぬけた装丁とは裏腹に
深い内容でアイデアがわいてくる本でした!
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『考えない練習』(小池龍之介著/小学館)<Amazonで購入>
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093881065/withup-22/ref=nosim人は、落ち着いている時には、あまりあれこれと考えません。
混乱している時ほど、考える量や時間が増えてしまいます。考えている間は、
エネルギーを「考える」ことに浪費している分、
視覚も聴覚も触覚も鈍くなる性質があります。「心の働きを変える」という二つ目の力のことを
「定力(じょうりき)」と申します。これはすなわち「集中力」です。普段から「いま自分は五感のうち、どれを使っているのか」
ということに自覚的になることです。五感という言葉が出てまいりましたが、仏道では、
目・耳・鼻・舌・身に加えて、意という六つの扉によって、
外部からの刺激を認識するとされています。ところが、否定されたくない、自分は良く思われたい「慢」
の欲に駆られているため、中途半端に謝りつつ
口答えをするという分裂状態に陥っているのです。心のコントロールをすること、
これが仏道のスタートでありゴールです。仏道において、人が幸せに生きていくために育てるべき
感情としているのは「慈・悲・喜・捨」の四つだけです。古い言葉で「怒る」は「胃刈る」と当てます。
怒ることで胃を刈るようなダメージを与えるということです。寺院などで半眼の仏像をご覧になったことがあると
思いますが、半眼のお釈迦様は見ているのではなく、
強い集中状態をつくりだそうとしているのです。たいてい、人の表情というものは煩悩によって動きます。
食物を食べる際に覚えておきたいのは、
いい加減に作られたものを食べないことです。この場合のグレードが低いというのは、
つき合っていて心が汚れていくような人という意味合いです。いま話すことによって、心が穏やかになるのか、汚れるのか。
この思考によって、心が穏やかになるのか、汚れるのか。参照:
『考えない練習』(小池龍之介著/小学館)<Amazonで購入>
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というわけで、
●「共感・意外性・感動」の法則を解き明かす!
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目を閉じる。
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私は、何かに集中している人の
「目」がとても好きです^^
以前のメルマガで、
「私は人を笑顔で記憶するようにしている」
と書きました。
例えばそれをA面とすると、
B面の記憶データは間違いなく
誰かの、何かに、夢中になっている
「目」です。
しっかりと記憶しています^^
集中している目は美しい。
先日も知人がホームパーティーの際、
めちゃくちゃ集中して魚をさばいてくれました。
「しんどくない?」
と聞くと、
「すごく楽しいよ。集中できるから!」
と、キラキラした目で答えました。
私は何かに集中している人だけが
漂わせるその「凛とした空気」が
心地よいのかもしれません。
集中力!
永遠の課題です。