自分が何をなすべきかが分かる「究極の問い」とは?
最近、メルマガ読者になった方も
おられるようなので
改めてお伝えします。
芝蘭はメルマガのこの分量を
いつも12分きっかりで
仕上げています。
その後、
6分間推敲をして
配信完了という流れです。
相棒のタイマーが
いつもそばで私を
管理してくれています(笑)
さて。
本の中の一部に
共有しておいたほうがいいな、
と思う箇所を見つけました。
これはおそらく、
迷える人たちへの一撃になるような
フレーズだと思います。
フレーズというよりも、
「究極の問い」でしょうかね。
ピーター・F・ドラッカーの
文言が引用されています。
経営思想家のピーター・ドラッカーは、
著書のなかで次のようなエピソードを紹介しながら、
「自分は何によって覚えられたいのか」
を問うことの重要性を語っています。
「私が13歳のとき、宗教の先生が
『何によって憶えられたいかね』と聞いた。
誰も答えられなかった。すると、
『答えられると思って聞いたわけではない。
でも50になっても答えられなければ、
人生を無駄に過ごしたことになるよ』といった。」
ここで、
「自分は何によって覚えられたいのか」
というのは、いま自分が何をなすべきかに
関する問いであり、
自己刷新を促すための
具体的な行動を導くものである、
とドラッカーは説明しています。
「私は何か」が、不確実性のなかで
具体的な行動指針となることが
説得的に理解できる指摘であると思います。
参照:『エフェクチュエーション
優れた起業家が実践する「5つの原則」』
(吉田満梨 著, 中村龍太 著/ダイヤモンド社)
https://amzn.to/3X2xAbF
いかがでしょうか?
あなたはいま何歳ですか?
この問いに答えられますか?
自分がいったい
何によって覚えられたいのか、
ということ。
シンプルですが、
50歳をすぎてここで
答えに詰まっているようでは
ドラッカー曰く、
人生を無駄に過ごしてきましたか???
ということになります。
大丈夫でしょうか?
芝蘭は経営者や研究者や、
プロ講師として活動している方の
人生を見てきました。
その中で、
プロフィールがブランディングに
使える可能性を説いてきました。
個人において
信頼されるためには
ブランディングが強力な武器になる、
ということは
いうまでもありません。
ある集まりに行ったとき、
「あ、芝蘭さんだ!
プロフィールの人ですよね?」
とある編集者に言われて
非常にうれしかったことを
覚えています。
面識がないけれど、
知ってくださっている!!
ということは、
認められた気がして
心が喜ぶわけです。
ということで、
自分が何によって
覚えられたいのか?
です。
答えられなければ、
いますぐ自分自身と向き合って
軌道修正してください。
よくあるパターンは、
あれも、これもできるような
器用な自分になってしまい
自分が何屋さんか分からず
迷走しているパターン
です。
必ず自分自身の
尖ったところがあります。
それを見つけ出せる人、
それを言語化できる人に
協力を仰ぎましょう。
人生を無駄に過ごしてきた、
なんて思いたくないですよね。
今日もすばらしい一日を!