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「好き」と「才能」はいったい何が違うのか?

デイリーメルマガ発信力・メッセージ力

「好き」と「才能」はいったい何が違うのか?

残暑が厳しいですね。

 

体調は大丈夫でしょうか?

 

夏のつかれが出る頃なので
気をつけてくださいね。

 

さて、
先日のアンケート回答
ありがとうございます。

 

今後の参考にさせていただきます。

 

あなたは自分の才能を
正しくとらえていますか?

 

ちまたではよく
好きを仕事にするというような
言い方がウケていたりしますが

 

自分の好きというのは、
本当にすごい才能を持つ人ほど
まったく意識できていない!!

 

ということだったりします。

 

自分のそばにある
それ(才能)が当たり前すぎて

 

 

 

・見えない
・気づいていない
・言葉にできない

 

 

 

 

という感じですね。

 

これはもったいないです。

 

「好き」という感覚、
「才能」という感覚、

 

いったい何が
違うんでしょうかね~

 

本人の認識?
自覚だけでしょうかね?

 

そこでふと今朝
こういう違いがあるかも!

 

と思ったのでシェアします。

 

「才能」という
言葉で表現されるとき、

 

それは、
「社会的な資産」ではないか
と思います。

 

もっと簡単に言うと、

 

 

 

「才能」は社会のために
使われてナンボである

 

 

 

 

ということ。

 

どうですか?

 

あなたは自分の才能を
使って生きていますか?

 

え?そもそも自分の
才能がわかりませんわー

 

という人もいるかもしれませんが、
少なくともこのメルマガを
読んでくださっている人は、

 

言語化くらい
できていると信じたいですね。

 

どうでしょうか?

 

才能を社会のために
使っていくということは、

 

自分の人生を手元に
引き寄せて生きること!!

 

と言えるかもしれません。

 

ふんわりと「好き」ではなく、
「才能」という言葉に
惹かれる人はぜひ、

 

ここを哲学してほしい。

 

才能を
使い倒しているか?

 

才能を
出し惜しみしていないか?

 

そもそも自分の才能に
ちゃんと気づいているか?

 

大変革の時代ではあるけれど、

 

自分の才能を信じ、
他人の才能を信じてあげられる
そんな人生を送りたいものです。

 

自分でも
何が才能だろうか、
と考えつつ書いています。

 

褒められることは
やはり言葉の力なので、

 

きっとこういうことかな
と思います。

 

 

 

・言葉で輪郭をつくる
・言葉でカタチをつくる
・言葉で色を塗る

 

 

 

 

そして

 

「言葉に波動をいれる」

 

おそらく芝蘭が
やってきていることって
そういうことなのでしょう。

 

 

今日はぜひ自分の才能を
考える日にしてみてください^^

 

今日もすばらしい一日を!

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